長年、「クラウドセキュリティ」と言えば、リソースの誤設定の修正と最小権限アクセスの実現に重きが置かれてきました。直感的にも納得がいく話です。クラウドが正しく設定され、必要最低限のアクセス権のみが与えられていれば、安全であるはずだと考えるのは自然なことです。
しかし、果たしてこのアプローチは正しい方向を向いているのでしょうか?
際には、「完璧な設定」に固執することは、私たちが思っているほど効果的ではないかもしれません。誤設定を修正すること自体は価値がありますが、それが過度になると、誤った安心感を生み出し、本質的なクラウドリスクへの対処から注意を逸らしてしまう恐れがあります。
クラウドセキュリティにおける「とにかく早く考える」の罠
私たちのクラウドセキュリティに対する直感は、間違った方向へ導いてはいないでしょうか?
人間の脳が直感に頼りやすい傾向があることを理解することは、リスクに基づいた意思決定における誤りを軽減するために非常に重要です。ダニエル・カーネマンの研究1が示す通り、直感はしばしば誤った自信を生み出し、特に複雑なクラウドセキュリティの管理においては危険です。
多くの組織が、多くの組織が直感に基づいて行動し、「誤設定の修正」と「最小権限の追求」こそがクラウドセキュリティの全てだと信じて直感的に動いている現状を目にしています。これはカーネマンの言う「システム1」の思考である、 早くて直感的、そしてしばしば誤った判断の典型です。
設定修正に集中することは自然に感じられますが、このアプローチはセキュリティ戦略における盲点を生み出します。この方法に過信してしまうと、他の重要なコントロールを見落とす危険があります。
なぜ「完璧な状態」が正しく感じられるのか?
クラウドの誤設定を修正すると、即座に成果を実感できます。チェックリストを一つ終えた時のような達成感が得られ、セキュリティチームも生産的であると感じます。ダッシュボードの数値も下がり、「リスクが減っている」と信じやすくなるのです。
しかし、測定できるからといって、それが意味のある指標とは限りません。クラウドセキュリティは設定の修正だけではなく、進化する脅威環境、広がる攻撃対象領域、敵対者の戦術などを深く理解する必要があります。最終的な目的は、コンプライアンスチェックリストを埋めることではなく、組織の実際のサイバーリスクを最小限に抑えることです。
「確証バイアス」の問題
私たちは、自分たちの信じたいことを裏付けるデータばかり見ていないでしょうか?
確証バイアスは、既存の信念に合致する活動にセキュリティチームの注意を向けさせます。「誤設定の修正」と「最小権限の追求」だけが安全なクラウドを実現する唯一の手段だと信じる組織は、クラウドガバナンス、復旧能力、インシデント対応など、他のリスク低減のチャンスを見逃す可能性があります。
このバイアスは、業界の年次トレンドレポート、セキュリティツール、コンプライアンスチェックリストによって強化されます。これらはしばしば、ベンダーが定義した「念には念を入れる方式」作業を優先させ、本来必要なリスク管理を後回しにさせてしまいます。
その結果、セキュリティチームは軽微な問題の是正に過剰な時間を費やし、是正のロングテールに過度の焦点を当てる一方で、組織の他の機能が未熟なまま、クラウドセキュリティインシデントへの備えが不十分なまま放置される可能性がある。
指標に惑わされるとき
指標は本来「我々はどのくらいうまくやっているか?」という問いに答えるものですが、特定の作業の進捗を測るだけで大きな目的を見失わせてしまうことがあります。たとえば、誤設定の減少やコンプライアンススコアの改善がダッシュボードで示されたとしても、それが実際のリスク低下を意味しているとは限りません。
たとえばCSPM(Cloud Security Posture Management)ツールで誤設定の件数が大きく減少しているように見えても、それが攻撃者の侵入可能性の低下を示すものではないかもしれません。適切なコンテキストなしでは、こうした指標は誤解を招きます。
相関関係≠因果関係:クラウドセキュリティ年次報告書
セキュリティ統計は、コンテキストなしに提示されていないでしょうか?
業界レポートは次のような衝撃的な数字をよく取り上げます。
- 「61%の組織で、ルートユーザーまたはアカウントオーナーにMFAが設定されていない」
- 「82%のAWS Sagemakerユーザーのノートブックがインターネットに公開されている」

これらの数値は、大きなリスクがあるかのような印象を与えますが、コンテキストが重要です。
たとえば、MFAが設定されていないルートユーザーは、ガバナンスがしっかりしたAWS組織の安全なパターンである可能性があります。インターネットに公開されたサービスにも、IDベースの制御や検出的コントロールが備わっているかもしれません。
脅威レポートにおける不安定なデータサンプルの危険性
セキュリティチームは、業界レポートの変化に反応しすぎる傾向があります。ある攻撃手法がある年には46位であったのに、翌年には4位に急上昇しただけで、慌ててリソースを投入するケースもあります。
しかし、これらの順位は一つのベンダーの顧客データという限定的なサンプルに基づいている場合が多く、分析対象の母集団が年ごとに大きく変われば、傾向に偏りが出ます。
たとえば、Verizonの「データ漏洩調査レポート(DBIR)」のような信頼されているレポート2でさえも、年によって参加企業数が変動するため、データの限界を認めています。したがって、データソースが不安定な場合は、慎重に傾向を評価する必要があります。
「ゆっくり考える」モードでクラウドセキュリティに関する意思決定を行う
持続可能なセキュリティ戦略のためには、カーネマンの言う「システム2思考」 であるゆっくり、意識的で、論理的な思考に移行する必要があります。

「システム1」とは異なり、「システム2」は意識的かつ努力を伴う、信頼性の高い意思決定を可能にします。すべての誤設定アラートに反応するのではなく、一歩引いてリスクを全体的に評価することが求められます。
つまり:
- ガバナンス、検知、レスポンス、復旧など、セキュリティ機能すべてを意識的に関与させる
- 脅威の可能性と影響度を考慮し、分析に基づいて優先順位をつける
- 反応的な姿勢から戦略的な姿勢へと転換し、現実のリスクに即した判断を行う
「ポスチャの完璧さ」を追い求める機会損失
すべての意思決定には機会損失があります。誤設定の修正や最小権限の追求に過度なリソースを割くと、以下のような他の重要分野に割けるリソースが減ってしまいます。
- 脅威検知とレスポンス
- セキュリティの自動化とオーケストレーション
- ガバナンスとリスク管理
「完璧なポスチャ」を超えて
クラウドセキュリティにおいて、単一のアプローチだけを追求することには限界があります。設定の完璧さを求めるあまり、全体的な視野が狭まってしまわないよう注意が必要です。
既存のバイアスを強化するだけの指標、たとえば「修正された誤設定の件数」にとらわれず、リスクの全体的な低減や回復力を測る指標を構築しましょう。
た、複雑な環境でのリソース配分と意思決定の指針として、NISTサイバーセキュリティフレームワークのような標準的なフレームワークを活用することが重要です。さらに、クラウドセキュリティチームに責任を集中させず、組織全体でリスクを共有する文化を育てることが鍵となります。
参考文献
[1]:ダニエル・カーネマン Thinking:ファスト&スロー https://www.goodreads.com/book/show/11468377-thinking-fast-and-slow
[2]:Verizon Data Breach Report -2024: https://www.verizon.com/business/resources/reports/2024-dbir-data-breach-investigations-report.pdf